入社からこれまでの仕事の変遷
福山

1、3、5、8年目の変遷で話します。

1年目、入社当初はまだ正社員が6名しかいなくて、もちろん新卒採用第1期生なのでOJTの仕組みもなく、いわゆる商品である、基幹プログラムも整備中だった頃なんです。なので、先輩がプレイングで多忙な中で、製品や育成の仕組みも整ってない中での手探り状態でした。やることといったら、結構、0→1とか1→100に膨らませるとかじゃなくて100あるものをとにかく覚える。先輩の邪魔にならないように見て学ぶっていうのが1年目でしたね。

3年目になったら、すっくん(菅谷)が入ってきたと。彼の入社前に、同期と「われわれのような苦労を彼にはさせまい」と仕組みづくりのようなまね事をしました。4月の導入研修1カ月間の組み立てや、その後、OJTとして電話対応とか企画書作りとか、そういうものを教える時間をつくろうという施策を立てました。1年目と比較すると1から100に膨らませる仕事が増えてきて、プログラムやテキストもうちに素材があるものを組み合わせたり、そこから発想させて、つくっていくっていう企画の仕事が増えていきました。だから、この頃は自分が開拓した新規顧客でもう両手いっぱい抱えているような状態です。

1年目のときには、既存のお客様は、産休に入る先輩から2社引き継いで、それ以外は自分で新規開拓したところがぽつぽつあったぐらいだったんですけど、3年目はほとんど自分の開拓顧客という感じでしたね。

5年目に、チームリーダーに就任しました。すっくん含めて3人のメンバーと一緒にチームを組ませてもらうことになりまして、初めてのチーム統括というところで、やったことのないことから、0から1を生み出すようなことが増えていった。この頃には、3年目辺りから特に鍛えてきた企画力を生かして、「次世代リーダー育成」という、リ・カレントが当時ほとんど着手できておらず、でも組織の根幹に関わるようなお客様のご支援をメインとしてやるようになりました。そこから、次世代とか選抜系幹部層とかの案件が割と私のエッジになってきた感じですね。

今年、8年目はマネジャーになりました。今見ているメンバーは、人材組織開発プロデューサー(以下、人開P)全員なので22名になります。自分の担当顧客の数が一気に絞り込まれまして、片手で足りるぐらいの数になりました。人開Pで生え抜きからマネジャーに上がるというのは私が初なので、レールのない中で、どんなリーダーシップとマネジメントスタイルだったらみんながいきいき働くのかなと模索しながら、組織の戦略や戦術を考えて実践する日々です。

菅谷

すごいです。そういうふうにやってたってことを知らなかった。

僕は、最初の本当に入社した時は、清水さん(現:グループ企業WisH代表、当時リ・カレント所属)と福山さんと僕のラインで、清水さんが女性活躍推進の専門領域を持っていたので、その分野の案件を多く経験できました。最初から風土とか文化とか規模の大きい話が多くて、基礎知識の学習に付いていくので精いっぱいだったっていうのが、1年目の正直なところです。

福山

難易度高かったね。

菅谷

一番最初の案件が、先輩社員と夏に汗だくになって道に迷って、ようやくたどり着いた先のお客様でいただいたダイバーシティー系の案件だったんですよね。大手の証券系企業の、大規模な講演会とセミナーからはじまりました。今思えば、1年目で大きな講演会をやったことで評価を頂いて、その後も男性上司の意識改革や管理職の女性に対する能力アップ、意識改革、サポート体制の引き上げといったテーマや、これから管理職に上がるであろう人たちの意識改革と能力改革などのご支援の機会を多くいただきました。

今自分が得意にしている、全階層に入り込んで縦横に介入するような動きを取って、大きなムーブメントを起こしていく手法のルーツになったのは、多分この案件だったんじゃないかなと自分の中では思っています。

2年目とか3年目とかになってくると、いろいろと引き継ぎ案件とかちょっと増えてきて、仕事であっぷあっぷになった時に、福山さんにすごく助けてもらったなというふうに思います。というのは、僕は仕事の段取りが結構苦手な時代がありまして、一から全部仕事を分解して整理してというのを一緒にやってもらいました。これもまた今やっている大きな仕事の一つにつながっています。

1年目、2年目で今の自分のルーツをつくってもらったなっていうのは、今思い出して言えることだなと思います。

福山

うれしい。

菅谷

そんな中、3年目から転機が訪れてきまして。大手ホテル様の案件を引き継ぐことになったんですよ。これは、10年後、15年後の会社を担っていく経営する人たちを今の管理職層から選定して、社長、常務に提言していくというプロジェクトだったんですが、本当に大変で。

福山

ごめんね。すっくん推薦したの、私なの。もともと、そういう案件に興味があるって言ってたから任せたいと思って。

菅谷

それは本当にありがたい話で、その時は「何だ、これ。死ぬ」と思ったんですけど、今思ったらあれは自分の中ですごく大きな指名でして。

今、組織開発に注力して活動をしているんですけど、組織づくりって人材育成と一緒で、本当に5年とか10年とか長い目で目指したい姿っていうのをデザインしてアクションに落として遂行していく動きなんです。このお客様との案件で、仕事の時間軸がすごく伸びたというのが自分の得られた一番のポイントだったんですよね。

当時の経営陣が求めている、次代の経営者候補に期待する能力と、これからその企業や業界が直面していく外部環境を踏まえると、どう考えても一定のステップを踏んでいく必要があって、2年ぐらい並走しつつ、10年後のイメージから今できることにちゃんと落としていこうっていうプロセスを踏めたのは、すごく自分の中では大きな節目だったなと。

それが今生きて、別の2社では役員や社長さんから直接「菅谷さん、長期的な視点であなたにお願いしたいんだ」と言ってもらえるようになりました。

福山

3年目ぐらいにストレッチの効いた顧客とか案件とか役割を与えられると、一気に成長するよね。

菅谷

そうですね。今のリ・カレントなら、そのサイクルはもっと僕は早くてもいいと思っています。入ってくるメンバーも志高い人達が集まってきているし、チャレンジしていける土壌があるので。

福山

私が5年かかったものがすっくんが3年ぐらいとか、私が3年かかったのが今の新入社員は1年目で体験してもいいぐらいのスピード感になってきたね。育成の仕組みも整っているし、お客様の幅も広がってるし、商品も豊富にあるし、失敗させられる環境がもう万全に整いつつあるので、1年目でそういう経験を積ませられる。

菅谷

本当にそうだと思います。個人もですけど、組織としてそういった状態がつくれたというのは、本当に頑張ってきて良かったなと。

福山

どんどん優秀な人が入ってきてスピードが上がってきたほうが、轍をつくってきた組としてはうれしいんですよ。ああ、ちゃんと価値が残ってるなって。

菅谷

新卒のときに、大企業ではなくてリ・カレントというパワフルな少数精鋭の会社を選んでやってきて。それには当然メリットもあってデメリットもあるけど、失敗してでも挑戦できるチャンスをもらうのは大企業ではなかなか難しいです。こういうふうに自分のやりたいことを理解してもらって、3年目でぼんと任せてもらえるというのは、本当に自分には大きかったなと正直思いますね。

ターニングポイントになった出来事
福山

いっぱいあるんですけど、例えば、3年目の終わりぐらいに懇意にしていただいていた企業の社長から講師をやってくれと言われたことですね。

3年目の終わりぐらいに言われて半年以上断り続けたんですけど、結局4年目で引き受けるんですよ。プロデューサーとしてのそれまでの没頭ぶりや、真摯に対応するところを評価いただいたらしく、同い年の方に向けて4年目プラス3年目合同研修というのをやりました。

そのお客様は、地域のいろんな会社が合併してできた会社だったので、教育の仕組みも、人材のレベルも本当に多様だったんですよね。その中で組織開発をしようというので、それこそ役員レベルから新入社員までが組織に提言していこうという内容に取り組んでおり、若手領域にいざ着手というところで私に講師をやってくれと。「今までプロ講師が切り開いてきたものを、なぜ突然3年目の私に言うんだ?」と思ったんですけど、粘り強く社長自らお声掛けをいただきまして。これはプロデューサーとして信頼されている証拠なんだなと思って、お引き受けするのが真摯だろうということで腹をくくってやりました。

それまで、散々、プロフェッショナル講師を見てきたんですけど、自分がいざやるとなると、どのように話せば何を伝えれば受講生に届くのかと、めちゃくちゃ試行錯誤してテキストも作りました。

当日、都心から離れた場所で1人で登壇しなきゃいけなかったんですよ。当日の立ち合いも誰もいなくて。だけど、前日夜に新幹線に乗る直前まで、2時間ぐらいオフィスで最後の詰めをやっていたら、すっくんが様子を見に来てくれて。

菅谷

思い出しました。

福山

直前まで来て、準備はしてきたけれど自分に自信がないというところで、一緒にもう一度、研修の流れを確認してくれたんです。「ここは、こういう目的でこの人にこういうメッセージを伝えたくてやってるんだよね」って。リハーサルにも付き合ってくれて、自信を持って研修に向かうことができました。

菅谷

そんなこと、ありましたね。

福山

講師なんて一回もやったことはないけれど、お客様が熱烈な期待をかけてくださった信頼に応えるために挑戦したのが多分ターニングポイント。当時は、人開Pの中に講師をしてる人はいなくて、社内講師といえば石橋さんと谷口さんだけだったんですね。そこを3年目という枠を取っ払ってチャレンジしたのは良かったなと。その後、フォロー研修も登壇したんですよ。そこから「”プロデューサー”という仕事の枠って、自分でこうやって広げていくものなのかな」と思うようになりました。

だから今、1年目で講師をやりたい人がいても、何に困るかとか悩むかとかよく分かるので、全力で応援できるんですよ。人開Pという仕事を広げる上でターニングポイントになったかなと思います。

菅谷

僕にとってそのときの福山さんの姿は「お客様と向き合うというのは、こういうことなのかな」と。ヒューマンキャピタル(人事向け展示・講演会)に僕も登壇したことがあるんですけど、1人で練習している時の圧倒的プレッシャーと向き合っている、あの感覚をすごく感じたのはすごく印象に残っています。そのプレッシャーに向き合っている姿にすごく感動して、自然と「自分にもできることないかな」という感覚になりました。大したことではなかったと思うんですけど、1人でやるよりもみんなでやるほうがポジティブになれるというか、もっと頑張れるというか。そういったのをすごくあの時は感じました。

福山

すごくうれしかったし心強かった。ちょうど、すっくんが2年目のときじゃないですか。受講者視点での意見や、同時にプロデューサー視点から見てどうかを確認する壁打ちを担ってくれて、すごく助かりました。

あとは、社員の人たちにメッセージをもらったんですよ。できるよって全肯定メッセージ。お菓子とかももらって、それを握りしめて、食べずにメッセージと一緒にテーブルに飾って登壇したんです。

私にお声掛けくださった社長も2日間、ほぼ終日後ろで見ながらレビューをくださって。なぜか研修最終日に私が一番感動しているっていう。それが私のターニングポイントですね。

菅谷

僕のターニングポイントは、さっき話したホテル様が一つと、2年目の終わりぐらいにもう一つ。とあるお客様の案件がどんどん膨らんじゃって、一人でさばき切れなくて対応が後手になってしまっていたことがあったんです。あるとき、研修会場に行ったら先方のリーダークラスの人に呼び出されて、一言「誠意見せろ」と怒鳴られたことがありました。

本当に、あの時のあの方のプレッシャーは、今でも僕の中の重要な血肉になっていて、やっぱりトップに立つ人たちはああいう温度感を持っているんだなというのは、今も僕の生きるスイッチになっています。その場で、僕的には体感時間30分ぐらいだったんですけど、実際は2時間半ぐらいその人に付き合ってもらって、資料を揃えて全部ご説明をして、「分かった。すまなかったな。でも、お前が悪いってわけじゃないというのは本当によく分かった」と。

その人の温度感や采配もすごく勉強になったし、あのとき諦めずにもう一回ちゃんと状況を整理し直すということを自分の中でやったのも、今の仕事の方向性や将来像をデザインするのにすごくつながっていて、大きなターニングポイントになりました。

福山

どういう逆境にさらされても逃げずに向き合い続けるのは、すっくんの良いところなのでね。ある程度の負荷は彼の上司からも見えてたと思うんですけど、信じて任せていました。でも、本当は今ぐらいサポート体制が整っていれば、早く支えてあげられたなとは思いますけどね。

菅谷

いや、でも結構支えてもらいましたよ。一人ではさばき切れない仕事を一緒に整理してくれたり、手を貸してくれたり。あれがなかったら、もっと早い段階で僕はつぶれていた。でも、僕はこれをしんどかったけどポジティブな経験だと思っているんです。

福山

覚えてるのって、そういう人だよね。怒鳴られた人とか、なんかものすごく熱量込めて何か言われたり。私にとっては、講師をやれと言ってくれた社長さんのような。

菅谷

本当にちゃんとやんなきゃ駄目だという感覚。さっきの話で言えば、納期がちょっと遅れていたのは事実で、ちゃんと質とスピードを担保する動きを本当の意味で向き合って考えられていなかったというのは、その時に痛感した。だから、2年目や3年目という早い段階でそういうことが分かって良かった。一生もんですよ、これ。

今後の展望
菅谷

今は、本当の意味で新しい価値とか、付加価値のようなものを見つけていくことが重要視されていくだろうなと僕は思っているんですよ。

ものの消費の時代から、コトやストーリーの消費という志向に変わってきている。以前『High Tech High』という映画にすごく感銘を受けたんです。知識の習得を評価していくような学習スタイルや、教育というのはどんどんなくなってくるよね。もっと違った方向も重要視されていくよね、と。そうなった時に、当然、僕らも提供する支援の仕方を少しずつ変えていく必要があると思っています。これまでは、みんなが集まって学習するスタイルだったところを、学習知識や必要なインプットというのは事前に済ませておいて、その場でみんなで話をして、新しいものをその場で概念をちゃんと生み出していく場にシフトさせていく。そのようなことをどんどんデザインしていくような仕事をやっていかなければ駄目だなと思っています。

かつ、そういうことを世の中にどんどん発信して提供していくためには、自分たちがまずそういうことに価値を感じなきゃいけないし、できるようになっていかないとと思っています。そういった意味で、会社が掲げている「7つの新事業をつくる」というのは、世の中に働楽を基軸にした新しい価値というのを打ち出して提供していく動きだし、「ユニークマイクロカンパニー」「オープンネットワーク組織」をつくるというビジョンは、本当に不可欠だなと思うんですよね。

福山

そうだね。石橋さんも日頃から言っていることですけど、ようやくVUCAの時代の中で学びのスタイルも変わってきているんですよね。

今、うちってBtoBの、しかも大手、準大手を特にターゲットとした研修事業で生業を立てているじゃないですか。このままでは時代の波に淘汰されるという危機感はみんな健全に持っているので、次の新事業を先進的に生み出していこうと取り組んでいます。そういう動きがきちんと取れていて、かつ、少しでも事業の種として生まれているところというのは、業界としては少ないんですって。

例えば自社で今やっているような、ARを使って映像教材をつくってみたり、動画コンテンツを若手が生み出してみたりという、とにかくチャレンジして、事業の種になるようなものをつくっていくという動き。お客様にどうやったら価値創出できるのか、うちの今までやったことない領域だけど、どうやったら知識が身に付くのかというのをチャレンジしているのが、今なんですよ。おそらくですけれども、1年後と言わず来年には変化の第一波が来ると思うので、それに備えて、いかに次代の種をつくり、その波に耐え得るだけの人と組織とそれを支える仕組みをつくっていくかというのが目下やらなければいけないことですよね。

だからマネジャーである私としては、そういう挑戦を歓迎して、失敗しても挑戦していいんだと安心できる、心理的安心性を担保した組織と、多少のことでは折れない、ぶれないような仕組みをつくっていくことだなと思っていて、その整備をまずこの1年でやりたいんです。多分、そうすれば、どんなに革新的なことにチャレンジしようと、オリンピック不況があっても、研修などの学びのスタイルがどんなスピードで変わっていこうと耐え得る、もしくは、変革を起こしていけるようなリ・カレントになるのだろうなと思っています。

別に正直、うちの会社を100人規模にしたいわけじゃないって、いつも石橋さんと話してるんですけど、私は別に大きくしたくてここに入ったわけではない。もしかしたら、今、お客様は対企業だけれども、対個人かもしれない。あらゆる可能性は探った上で、人が常に成長し続けられる会社であればよいと思っています。

菅谷

そういった意味でいくと、やっぱり新しいチャレンジをつくっていくためには、新卒・中途に限らず、いろんな価値観とか強みとかバックグラウンドが本当に必要だと思うんですよ。そういう人たちと一緒に何かをやっていくためには「僕たちは何のために、どんな目的で、この世の中に存在しているのか」を明確に分かりやすく発信していくというのが課題であり必要なことですね。

働楽って普遍的な概念だと思うんですよ。でも、その働楽って、今の潮流や置かれている時代によって当てるべき焦点が変わっていくような気がしていて。じゃあ、今、僕たちは働楽を掲げたけれど、この時代にどこに焦点を当てて働楽を実現するのか。この普遍的な問いをみんなで具体に起こしていくアクションを、全社会議やプロジェクトという形で、僕たちは社内で今やっているわけですね。そこら辺が形になってくるのが、福山さんが実現していきたい世界観だと最高に面白いと思うんだけど。

福山

乗り込んだ、この母船で新しい海を切り開いていきたいじゃん。

菅谷

ほお。

福山

だから、新しく乗り組んできた船員に対しては、自由に暴れてほしいし、自由に海の中で新しいものを生み出していってほしい。だから、その操縦するための機器を整えるとか。船体をちょっと補強するとか、一人一人のいいところを見つけて、そこを強化するとか。それが、早くからこのリ・カレントという母船に乗り込んだ、自分の使命かなとは思っています。

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